西所沢6号踏切。
その踏切は地元では「上新井の大踏切」と呼ばれていた。
私がかつて最もよく渡っていた踏切の一つ。鉄道、というより西武線が好きな僕は、遮断機が下りる度にどんな列車が来るかワクワクしていたものである。
今日も遮断機が目の前で下りる。
「今日は何が来るかな?」
僕は青い電車が好きだった。黄色い電車はよく見かけた、他の電車はほぼ来なかった。
アイツを除けば。
最近は走るときも静かな電車が増えたが、製造から40年ほど経過したアイツは、けたたましい音を振りまいて我が物顔で走るのだ。
「アイツだけは来ないでくれ」
そういうときに限って、大体来る。
眼前に現れたのは、西武線ではただ一つ赤い帯を纏う、ただ一つの特急電車。
それが、レッドアローだ。
耳を貫くような轟音を撒き散らしながら走り抜ける。アイツは今日も僕の耳に爪痕を残していった。
しかもそいつは僕の最寄駅、小手指を通過するのでハッキリ言って普段使いでは縁が無い、ゆえに僕はそいつが好きではなかった。というより、好きになれなかった。
池袋駅。
西武鉄道最大のターミナルにして、メガシティ東京の一角を担う重要拠点。
サンシャイン水族館によく遊びに行っていた僕にとっては馴染み深い駅だった。電車に乗ること自体が非日常だった僕は、ここに行く度にどんな列車に乗れるかワクワクしていたものである。
今日も電車がやってくる。
「今日は何が来るかな?」
僕は青い電車が好きだった。黄色い電車はよく乗った、他の電車はほぼ来なかった。
彼を除けば。
池袋に行くときはいつも朝から夕方まで動き回るので疲弊する、少し寛ぎながら帰ることもあったのだ。
「今日は特急で帰ろうか」
母の一言で、いつもと違うホームに立たされる。
眼前に現れたのは、西武線ではただ一つ赤い帯を纏う、ただ一つの特急電車。
それが、レッドアローだ。
リクライニングシートが僕を包み込む。彼は今日も僕の身体に安らぎを残していった。
ただしそいつは僕の最寄駅、小手指を通過するので所沢で降りなければならない、ゆえに僕はそれが少し嫌だった。というより、名残惜しかった。
それが、僕にとっての特急電車。初めて乗った、思い出の特急電車。
赤子の頃、0系新幹線に乗ったとも親から聞かされたが僕は全く覚えていない。
初めて乗った特急電車はなんですか?と聞かれたら僕はレッドアローと答えるだろう。
特急列車という代物を僕に知らしめたのは紛れもなく彼である。
そんな彼も、遂に僕の故郷から姿を消してしまった。
早く静かな列車になってほしいと思い続けたが、いざ別れとなると少し寂しいものだ。
半世紀もの間、東京と秩父を繋ぐ立役者として走り続けた功績は偉大である。
この赤い軌跡は、必ず受け継がれる。だから今は、お疲れ様。
いま、別れのとき。旅立ちの日に、この拙作をはなむけとする。
最後宣伝みたいになっちゃった…